最近急に寒くなってきましたね。
今日は、朝のテレビの情報番組の占いコーナーでときどき思うことを書いていきます。
占いコーナーでは、生まれ月や星座ごとにその日の運勢が発表され、ラッキーアイテムが紹介されます。
「今日のラッキーアイテムは赤いハンカチです」
「ラッキーフードはオムライスです」
といった具合です。
これを見るたびに、私はいつも不思議に思います。
このラッキーアイテムは、いったいどうやって決めているのでしょうか。
もちろん、占い師が何らかの占術に基づいて選んでいるのでしょう。星の位置や数字、色の組み合わせなど、それなりの理論があるのかもしれません。
しかし、私が思いつきで適当に選んだアイテムと、何が違うのでしょうか。
例えば、私が「10月生まれの今日のラッキーアイテムは靴下です」と決めたとします。
占い師が長年の経験と専門知識を駆使して選んだアイテムと、私が何となく選んだ靴下。
そのどちらかを身につけた人に、実際に幸運が訪れる確率の違いはあるのでしょうか。
私には、違いがあるとは思えません。
もっとも、これまで科学的に証明されていないからといって、絶対に違いがないと断言することもできません。
ただ、占い師が選んだ方が幸運をもたらすというのであれば、その根拠を示す必要があるのではないでしょうか。
そんなことを考えているうちに、そもそも占い師とは何をする職業なのか、という疑問が湧いてきました。
占い師は何を勉強しているのか
占い師について調べてみると、意外にも、占いには体系的な知識や技術が存在することが分かります。
例えば四柱推命では、生年月日や出生時間から「命式」と呼ばれるものを作成し、干支や五行などの理論を使って運勢を判断するそうです。
西洋占星術では、惑星の位置や星座、天体同士の角度などを組み合わせて解釈します。
タロット占いにも、カードごとの意味や配置、組み合わせによる解釈のルールがあるとのこと。
これらを習得するには、相当な勉強が必要なようです。
占い師になるための学校や講座もあり、書籍で独学する人もいれば、師匠に弟子入りして技術を学ぶ人もいます。
有名な占い師の中には、何万人もの鑑定経験や、長年の研究を実績として掲げている人もいます。
つまり、占い師は必ずしも思いつきで適当なことを話しているわけではないのです。
真面目に勉強し、研鑽を積んでいる人も少なくないのでしょう。
しかし、ここで私には、さらに大きな疑問が生じます。
そもそも、その勉強には何の意味があるのでしょうか。
例えば、四柱推命を20年間研究し、複雑な理論を完全に理解した占い師がいたとします。
その人は、四柱推命という占術について、非常に高度な知識を持っているのでしょう。
しかし、生年月日時と人生の運命との間に、予測に利用できる関係があるという前提が正しくなければ、その知識をいくら深めても、未来を正確に予測できるようにはなりません。
占術の知識が豊富であることと、占いが当たることは、まったく別の話です。
いくら複雑な計算をしても、その計算の前提が間違っていれば、正しい答えにはたどり着けません。
占い師の研鑽とは、そういうことになってはいないでしょうか。
穴を掘って、また埋める作業
以前、罰として穴を掘らせ、掘り終わったらその穴を埋めさせる、という作業を繰り返させる話を聞いたことがあります。
実際にどの程度行われていたのかは知りませんが、意味のない労働の例として印象に残っています。
占術の研鑽について考えていると、どうしてもこの話を思い出してしまいます。
もちろん、占い師本人は一生懸命勉強しているのでしょう。
難しい理論を覚え、複雑な解釈方法を習得し、何年もかけて技術を磨いているのだと思います。
しかし、その努力によって、実際に未来を予測する能力が高まるという根拠がないのであれば、何のための努力なのでしょうか。
穴の掘り方を研究し、効率的な埋め方を習得し、その道の達人になったとしても、結局、元の地面に戻るだけです。
努力していることと、その努力が何らかの価値を生み出していることは、必ずしも同じではありません。
しかも、占いの場合には、努力を重ねることで、かえって本人の確信が強まることも考えられます。
「自分の占いが外れたのは、占術が間違っているからではなく、自分の解釈が未熟だったからだ」
そう考えれば、占いが外れるたびに、さらに勉強することになります。
そして、何十年も研究を続けた結果、占術については非常に詳しくなったものの、実際の予測能力が向上したかどうかは分からない。
もしそうだとすれば、何とも不思議な世界です。
サルがダーツを投げて選んだ株式銘柄
この話を考えていて、以前読んだ投資の名著を思い出しました。
バートン・マルキールの『ウォール街のランダム・ウォーカー』です。
この本には、目隠しをしたサルが新聞の株式欄にダーツを投げて選んだ銘柄でも、専門家が慎重に選んだ銘柄と同じくらいの運用成績を上げられるだろう、という有名な比喩が登場します。
もちろん、プロの投資家が無意味な仕事をしているということではありません。
企業の財務内容や業績、経済情勢を分析することには意味がありますし、投資判断の結果を客観的に検証することもできます。
それでも、専門家が膨大な時間をかけて分析した銘柄が、無作為に選んだ銘柄より高い運用成績を上げるとは限らない、という話です。
私は、これと朝のラッキーアイテムが似ているように感じます。
占い師が複雑な理論に基づいて選んだラッキーアイテム。
私が何の根拠もなく適当に選んだラッキーアイテム。
両者に違いがあるのか、ということです。
ただ、株式投資と占いには決定的な違いがあります。
株式投資の場合は、結果を検証できます。
プロが選んだ銘柄と、無作為に選んだ銘柄の値動きを比較すれば、少なくとも一定期間の運用成績は明らかになります。
プロの予測が外れた場合には、その理由を分析し、次の判断に生かすこともできます。もっとも、株価には偶然の変動も大きいため、反省すれば必ず成績が向上するわけではありませんが。
一方、占い師のラッキーアイテムはどうでしょうか。
今日のラッキーアイテムが赤いハンカチだったとして、それを持っていた人は、持っていなかった人より幸運に恵まれたのでしょうか。
そもそも、何をもって幸運と判断するのでしょうか。
通常、そのような検証はされません。
そして翌朝には、また新しいラッキーアイテムが発表されます。
株式投資では、専門家の判断が無作為な選択を上回るか検証できます。しかし、占いでは、その検証すら行われないまま、専門知識に基づく判断として紹介され続けているのです。
考えてみれば、これは奇妙なことではないでしょうか。
占い師は本物なのか、詐欺師なのか
それでは、占い師とは、いったいどういう人たちなのでしょうか。
私は、大きく分けて四つのタイプがあると考えています。
一つ目は、本当に超常的な能力を持っている人です。
現代科学では解明されていない何らかの能力によって、未来を予測できるというタイプです。
ただし、現在のところ、そのような能力の存在を裏付ける信頼できる科学的証拠はありません。
二つ目は、心理学や統計学、観察力、経験則などを用いて、人の性格や状況を推測する人です。
例えば、相談者の年齢、服装、話し方、表情などから、その人の悩みを推測することは可能でしょう。
優れた観察力や豊富な人生経験があれば、相手にとって有益な助言ができるかもしれません。
ただし、それを超常的な能力によるものと説明するのであれば、問題があります。
三つ目は、特別な能力がないにもかかわらず、あるかのように見せかける人です。
これは、本人が本気で能力を信じている場合と、能力がないと分かっていながら客を信じ込ませる場合に分かれると思います。
後者であれば、少なくとも倫理的には詐欺に近い行為ではないでしょうか。
そして四つ目が、占いを純粋なエンターテインメントとして提供する人です。
私は、このタイプについては、特に問題を感じません。
占いはMMRやプロレスと同じなのか
昔、『MMR マガジンミステリー調査班』という漫画がありました。
ノストラダムスの予言や超常現象などを題材に、驚くような仮説を大真面目に展開する漫画です。
私は、この漫画を、ある種のプロレス的なエンターテインメントとして楽しんでいました。
突拍子もない展開に驚いたり、笑ったりしながら、「もし本当だったら面白いな」と思うわけです。
プロレスも、観客は演出やストーリーの存在をある程度理解したうえで、その世界を楽しんでいます。
占いにも、これと同じような楽しみ方があるのではないでしょうか。
テレビで有名占い師が芸能人の将来を予言したり、厳しい助言をしたりする。
視聴者は、そのやり取りを娯楽として楽しむ。
朝のラッキーアイテムも、毎日ちょっとした楽しみとして見ているだけなら、それでよいと思います。
しかし、占いには、MMRやプロレスとは異なる点があります。
それは、本当に超常的な能力が存在すると信じている人がいることです。
占い師自身が信じている場合もあるでしょうし、利用者が信じている場合もあるでしょう。
双方が娯楽と理解しているなら問題はありません。
しかし、占い師が自分には存在しない能力があると知りながら、その能力を信じ込ませて金銭を得ているのであれば、話は違ってきます。
もちろん、法律上の詐欺罪が成立するかどうかは、具体的な言動や故意などによって判断されるため、単に占いを有料で提供したというだけでは詐欺とはいえません。
それでも、倫理的な問題は残ると思います。
朝の占い師は、結局何をしているのでしょうか
ここで、最初のラッキーアイテムの話に戻ります。
占い師が、占術の知識を駆使して「今日のラッキーアイテムは赤いハンカチ」と決めたとします。
その占い師には、長年の研究歴があるかもしれません。
複雑な理論に基づいて、慎重にアイテムを選んでいるのかもしれません。
しかし、その選択が、私が適当に選んだアイテムよりも人々に幸運をもたらすという根拠は確認されていません。
それでは、占い師は何を提供しているのでしょうか。
私は、少なくともテレビの占いに関しては、占術に基づく予測そのものよりも、娯楽としてのコンテンツを作ることに価値があるのではないかと思います。
何となく楽しい話題を提供する。
視聴者にちょっとした期待感を持たせる。
番組の定番コーナーとして、毎日の習慣を作る。
こうしたことには、確かに価値があるでしょう。
しかし、それならば、占術の高度な専門知識が必要なのでしょうか。
例えば、私が毎朝、12か月分のラッキーアイテムを適当に考え、もっともらしいコメントを添えて紹介したとしても、視聴者を楽しませるという点では、同じようなことができるのではないでしょうか。
もちろん、占い師ならではの表現力や演出力、長年の経験はあるのかもしれません。
それでも、それは未来を予測する能力とは別の話です。
私には、占い師の肩書きや専門知識が、ラッキーアイテムに特別な意味があるかのような印象を与える役割を果たしているようにも思えます。
そして、その印象こそが、占いというコンテンツの商品価値を支えているのかもしれません。
社会的な人的資源の無駄遣い?
ここまで考えてくると、私は占術の研鑽そのものに疑問を感じます。
人間の時間も能力も有限です。
何千時間、何万時間もの努力を費やすのであれば、その時間で何を生み出しているのかを考えることには意味があると思います。
例えば、統計学を勉強すれば、現実のデータを分析し、さまざまな問題の解決に役立てることができます。
心理学を学べば、人間の行動や認知について科学的な知識を得ることができます。
もちろん、いずれも学んだだけで必ず社会的な成果が生まれるわけではありません。
それでも、知識の有効性を検証し、間違っていれば修正する仕組みがあります。
一方、占術の場合、どれほど精緻な理論を学んでも、それが実際の予測能力につながるという根拠が確認されていません。
占術の研究に何千時間も費やすことは、社会全体から見れば、人的資源の無駄遣いではないのでしょうか。
ただし、ここは少し慎重に考える必要もあります。
世の中のすべての活動が、科学的、経済的な成果を生み出さなければならないわけではありません。
趣味として占いを研究することには、本人にとっての楽しさがあります。
占星術の歴史を研究することには、文化的な価値もあるでしょう。
人を楽しませるために占いを学ぶことも、マジックを習得することと同じように評価できます。
私が疑問に思うのは、そうした活動ではありません。
未来を予測する技術として占術を学び、それを専門能力として社会に提供しているにもかかわらず、その予測能力の有効性が検証されていないことです。
例えば、心理学や相談技法を勉強して、相談者の悩みを聞き、助言する能力を磨くのであれば、その努力の方向性は理解できます。
しかし、生年月日と運命の関係について、根拠が確認されていない複雑な理論を何十年も研究し、それによって未来が見通せるかのように説明することには、どうしても違和感があります。
それでも占いがなくならない理由
もっとも、占いがこれだけ長く続いているのには、理由があるのでしょう。
人は誰でも、将来に不安を感じます。
仕事、結婚、健康、お金、人間関係。
こうした問題について、誰かに話を聞いてもらいたい、背中を押してもらいたいと思うことは自然です。
占いは、その需要に応えているのだと思います。
占いが当たるかどうかとは別に、相談することで気持ちが軽くなったり、前向きになったりする人もいるでしょう。
また、将来が不確実だからこそ、人は何らかの答えを求めるのかもしれません。
ただし、そのような心理的な効果があることと、占術そのものに未来を予測する能力があることは別です。
相談者が満足したからといって、占いが正しいことにはなりません。
ここを混同してしまうと、占い師本人も、利用者も、占いの本当の価値を見誤ってしまうように思います。
おわりに
私は、占いを楽しむことを否定するつもりはありません。
朝の星座占いを楽しみにするのも、おみくじを引くのも、自由です。
テレビで有名占い師が芸能人の運命を語る様子を、MMRやプロレスのように楽しむのもよいと思います。
ただ、占い師が何十年も研鑽を積んでいることを、その占いが正確であることの根拠として受け止めるのは、違うのではないでしょうか。
長年の努力は、その人が占術に詳しいことを示しているのかもしれません。
しかし、占術に詳しいことと、未来を正確に予測できることは同じではありません。
そして、占術の知識が深まっても予測の精度が向上しないのであれば、その研鑽によって、いったい何が生み出されているのでしょうか。
娯楽として人を楽しませる能力なのか。
相談者の話を聞き、助言する能力なのか。
それとも、占い師という権威を演出し、商売として成立させるための知識なのか。
それぞれに意味はあるのでしょうが、未来を予測する能力とは区別して考える必要があると思います。
私が毎朝テレビのラッキーアイテムを見ながら感じる違和感は、結局、そこに行き着きます。
占い師が長年の研究によって選んだ赤いハンカチと、私が思いつきで選んだ靴下。そこに、実際にどれほどの違いがあるのでしょうか。
占い師が何十年も勉強してきたというのなら、私は、その努力の量ではなく、努力によって何ができるようになったのかを知りたいのです。
それを客観的に示せないのであれば、いくら立派な理論や長年の実績があっても、少なくとも未来を予測する専門家として評価する理由にはならないと思います。
- 価格: 175 円
- 楽天で詳細を見る